荒砥石

こんばんは、岡村です。

 

昔読もうとして、読まなくなってしまった本にこの言葉が記されていました。

 

『若き日に、人との様々な出会いの中で、人間関係の摩擦と葛藤を体験する。

ときに、鬼の上司と巡り合い、日々の厳しい指導を受ける。あたかも砥石で研がれるかと思うほどに、心が軋み、魂が鍛えられる。しかし、少しずつ、エゴの殻が壊され、魂が磨かれていく。

ときに、虫の好かない同僚と巡り合い、いつも心と心がぶつかる日々を過ごす。しかし、心と心がぶつかりながら、互いに成長していく。少しずつ、互いの角が取れ、エゴが柔らかくなり、魂がしなやかになっていく。

中略

その体験が、どれほど、我々の心を深め、広げてくれたか。その体験が、どれほど、我々の魂を鍛え、磨いてくれたか。そのことに気がつくのです。』

 

最近になって、また、読み進める事ができています。

以下は私の解釈なのですが。

 

人はダイヤモンドの原石です。

必ず光り輝く素質と才能を持って生まれます。

それを、生かすも殺すも、当人が「どう生きたか。」に現れると思います。

 

ダイヤモンドはダイヤモンドによって磨かれる、これは周知の事実だと思います。

 

私は人も同じだと考えます。

文中の例えは、普通ならば回避したいものでした。

もっと良い形で、私たちオベロンのメンバーは互いを磨き合うコミュニケーションが取れるのではないだろうか。

 

私の良く無いところは、人に甘えるところです。これは仲間に気付かされ、磨かれている最中です。

 

私の良きところは、様々な分析をするところです。会社や院、一緒に働いてくれている仲間の為にもっと伸ばしたい、私の長所です。

 

 

人は人によって成長させられる。

ダイヤモンドと同じです。

 

仲間に限ったことではありません。

 

患者さんも、そうなんですね。

 

最近、赤羽のメンバーに話す事があります。

ある88人の患者さんが来てくれた日。

 

100人に到達しなかった。足りなかった誰だかわからない12人に想いを馳せるより、今日来てくれた88人の患者さんに、もっとできた事があるはず。それを考えよう。

 

有難い事に、赤羽の患者さんは皆さん。赤羽院のメンバーを、応援してくれている存在なのです。その方達と向き合うことこそ、心と心が磨かれる瞬間です。

 

12人に想いを馳せることは、現状から目を背けることと同じです。無い物ねだりですから。

 

今日来てくれている、正にたった今院内にいる、その相手こそ、本当に大切にしなければいけない人ですね。

 

 

長くなりましたが、先週からずっとこんなことを考えていたのでこの場でシェアさせて頂きました。